望みは空より果てしなく２

〜　第４部　月に願いを…　〜

第 26 話　

 邪魔者たち（１）
　空間の歪みを探すのは簡単だった。
はじめてこの時間界に降り立った場所にあるかもしれないとマリエが推測し、行ってみたら案の定あったのだ。
木々の間に霞みが漂っているような空間があり、向こう側の景色・・・つまり人間界が波打って歪んで見える。
　そばに寄ってみると、そこから確かに喧騒が聞こえてくる。
魔物達の叫びだけではなく、爆発音らしきものも響いている。
「戦争でも起こってるのか？」
　などと訝しがってみるが、そんな考え込んでいる暇などない。
イルシアはマリエの手を引きながら、なんの疑いも持たずにその中に足を踏み入れた。
　見慣れた風景――――沈みかけている夕陽。
その色に染まっている森の木々。
人間界と呼ばれる世界では、それはいたる所で見られる風景だ。それが視界に広がったのも束の間、イルシアは自分の置かれている状況に短い悲鳴を上げた。
「げッ！？」
　本当はもっと長い悲鳴を叫びたかったのだが、あまりの驚きで絶句してしまい、喉の途中で声が止まってしまった。
　イルシア達は、魔物ルーウの群れのど真ん中に放り出されていた。
ルーウ達も突然現れた二人にたじろいだが、それはほんの一瞬だけで、すぐに威嚇の体勢を取り始めた。
「よりによって、なんでこんな所に出るんだ！！」
　誰に文句を言えばいいのか分からなかったが、それでもイルシアは言わずにいられなかった。背後では、ぴよこを抱いているマリエが何やらぼそりと呟いている。
それを見てイルシアは、ハエ叩きの必殺技しかもっていないバカ猫を連れていても、なんの役にもたたないと思っていたのだが、あえてそれは黙っていた。
　とりあえず、彼女が何を呟いたのか知りたかったので振り向く。
「巫女さん？」
　呼びかけた瞬間、ルーウ達がこちらに目掛けて飛びかかってきた。
マリエをかばいながら背を向けたイルシアは背中・・・いや、首に噛み付かれるのを覚悟して瞼をぎゅっと閉じていたが、痛みどころか何も起こらない。
恐る恐る目を開けてみると、半透明で半円形の防御壁がイルシアとマリエを包み込んでいた。
襲いかかろうとしていた魔物は、その壁に激突して、地面に転がっている。
　イルシアは目を丸くして、腕の中のマリエを見た。
「母様にお祈りしました」
　と、にっこり微笑む。
「ルーナの加護のおかげか・・・」
　ふと、本当にそうだろうかと思ったりもした。
マリエを守ろうとする不思議な出来事は、ルーナの力だと今まで信じてきたが、実はマリエの能力の一部ではないのだろうか？
彼女が立ち上がるのを手伝いながら、そんな事を考えていると、マリエがくいくいと腕を引っ張る。
「なんだ？」
「見てください、あそこ」
　彼女が指差すその先を追うと――――無残にも、横倒しにされた木々。
土がえぐれて、焦土と化した森が見受けられた。
「ひどい有様だな」
「もっと奥の方を見てください」
「え？」
　目を凝らすと、二つの人影が見えた。
「あれは・・・」
「コーラルさんと・・・たぶん、あの人です」
「あの人？」
　マリエの知っている人なら、自分も知っている人物かと思って再度確認してみるが、見覚えのない人影だった。
「誰だ？」
　防御壁の向こうで、爪でガリガリと壁を削っているルーウを横目にイルシアは訊ねた。
「あの人は、ダンゼルさんですわ」
「へえ、ダンゼル・・・って、ええッ！？」
　イルシアは目をひん剥いた。
「ですから、わたくしに呪いをかけたダンゼルさん」
　白々しく繰り返すマリエ。
その表情になんとなくムッときて、「分かってるよッ！んなこと！」と叫んでやった。
「お前な、落ち着いているけど、あいつがここにいるってことがどんなに重大な事か・・・」
　分かってるのか、と言おうとしたが、無駄だと悟って言いかけた言葉を溜め息に変えた。
「イルシアさん？」
　やっぱり、分かっていない。
ダンゼルはマリエを追ってきたのだ。呪術を解くのを妨害しに来たのか、それとも殺しに来たのか。それとも、魔界の扉を開く生け贄として迎えに来たのか・・・。
イルシアにはそんな嫌な事ばかりが思いつくのに、当の本人は別に何も感じていないようなのでウンザリする。
「・・・もーいい。どのみち、そのダンゼルとやらと決着つけなきゃなんないんだ。姿の見えない敵にずっと怯えているより、今ここで終わらせてやる」
　アサエルとの決戦の時の事が思い出されて、マリエをそばにおいて戦うのは不安があるのだが、この魔物の森では彼女の力が必要なのは確かなので、なんとも複雑な気持ちだった。
　イルシアはマリエの肩を掴む。
「・・・巫女さんは俺が守る」
　自分でも不思議なくらい、自然と出た言葉だった。
普段だったらキザで臭い台詞だと思うのに、なんだか今は何度でも言えそうな気がする。
　そうだ。
運命というものがあるのなら、自分はこのために生まれてきたのではないのだろうか。
そんな不思議な思いが、イルシアの全身に電流のように駆け抜けていた。
　マリエは彼の胸にそっと手を置いた。
そして爪先立って、その瞳を覗き込んだ。
「決して、命を張らないで下さいね」
　その言葉にきょとんとしているイルシアの頬に、マリエは恥ずかしげに唇を寄せた。
そして二人を取り囲んでいたルーウは、イルシア達に興味を無くしたのか移動し始めた。


　ルーウの群れが、男を取り囲んだ。
その男は魔法を操るので、攻撃を避けるために遠巻きで威嚇している。と言うより、そう指示しているのはマスターである魔女コーラルであるのだが。
「やっと姿を現したか・・・。魔女よ」
　魔物達に臆することなく、その男は言った。
彼は痩せた体に黒いローブをまとっている。どこか眠たそうな表情を窺わせるが、瞳の奥には怪しい光が宿っているようだった。
「魔物の森の魔女は、そう簡単に姿を現さないと聞いたのでね。ひと暴れすれば、出てくると思ったのだよ」
　不敵な笑みを浮かべる。
だがコーラルは別に興味なさそうに、じっと立ち尽くしているだけだった。
「さあ。あんたの所にいるマリエ様と影天使の所へ案内してもらおうか？」
　その言葉にはじめてコーラルは、ぴくりと反応した。
「『影天使』・・・だと？」
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