明らかに、マリエは普通の人間とは違う。
用心棒が大勢いるにもかかわらず、こんな所まで一人で押しかけ、しかもこんな化け物が友達・・・。
そういう彼女達のマリエへの畏怖を嫌という程に感じ、イルシアは慌ててマリエの小さな手を握り返した。自分だけは、お前を恐れていないと示したくて。
「どうかしました？イルシアさ・・・あ！ええと、じゃなくて、『兄様』でした」
当のマリエはファナ達の視線などなんとも思っていないようで、それよりも『イルシアさん』と名前で呼んでしまっていた事を気にしている。
そんなマリエは、イルシアの気遣いにも気付かずに、いまだ手を握ったままの彼に首を傾げた。
「本当に兄様、どうかしました？」
「いや・・・なんでもないよ。それより、鍵を持ってた奴の所へすぐ行けるか？」
今は、マリエがどうのこうのと言っている場合じゃない。いつ、新手の用心棒達がやって来るか分からない。
「少し距離がありますので、ぴよこちゃんに取って来てもらいますわ。その方が早いと思います」
「そうだな。じゃあその間、お前の力で、向こうの彼女達の牢屋、開けられないか？」
一秒たりとも無駄にしたくはない。出来る事をやっておいた方が得策というものだ。
「やってみます。・・・あの、でも・・・」
「どうした」
「スライムさんを召喚するんですけど、構いません？ほら、だってイルシアさん、魔物さん出すと怒るから・・・」
気まずそうに、イルシアに耳打ちした。
「この際、仕方ないよ。本当はファナにも隠しておきたかったけど・・・今更、もう弁解の余地もなさそうだしな。ユーリーをここまで召喚しちまってるんだから」
「ですね」
にっこりして、マリエは彼女達のもとへ向かった。
「・・・」
イルシアの気のせいだろうか。やけにマリエが嬉しそうな気がするのは。
「そんなに、魔物を召喚したかったのかよ・・・」
そう考えたら、頭痛がしてきた。
「ねえイルシア、あの子・・・いったい・・・？」
不安な顔で、ファナが覗き込んできた。
「ん？ああ。あいつは・・・」
マリエが腕を前に伸ばすと、広げた手のひらの上に、丸みを帯びたゼリー状で深緑の物体が瞬時に現れた。それを見ながら、「あいつは魔物使いなんだ」と、少し遠慮気味に答える。
「・・・エッ！？」
生まれてこのかた、全く無縁だった『魔物』という言葉に、ファナは絶句した。
「キャッ！」
生まれて初めてスライムを見た娘らは、悲鳴を上げた。
「大丈夫ですよ。このスライムさんは悪い事しませんから」
と言われても、近寄る者はいないだろう。案の定、皆、壁のすみに逃げ出した。
娘らのその行動に対して、マリエは別に気にもしていないようだった。
「スライムさん。この牢屋の鍵を溶かして下さいね。よろしくお願いします」
彼女の願いを承諾したスライムはいそいそと体を捩じらせ、元の形に戻る時の勢いを使って、口らしき穴から粘液を吐き飛ばした。
液は錠前の部分に命中し、あたかも氷のように鉄のそれを溶かしていく。
何回かその動作を繰り返すと完全に溶け、牢屋の扉が開いた。
そのあとすぐに、フロント係が持っていた鍵をぴよこが持って来てくれたので、マリエはそれを受け取り、イルシアらの方の扉を開けた。更に手かせと足かせも鍵で外す。
「ありがとう・・・、マリエさん」
なんだかぎこちないファナのお礼に、マリエは「どういたしまして！」と満面の笑みで返した。
「よし、今のうちに逃げるぞ」
手かせのせいで少し痛む手首を慣らして、イルシアは皆に告げた。
「でも、これだけの大人数でどうやって？目立ってしょうがないじゃない。新手の敵に囲まれでもしたら終わりだ。こっちは武器も取り上げられて、丸腰状態なんだし・・・」
口を濁しながらファナが言った。
「ユーリーちゃん達にわたくし達全員を取り囲んでもらって、守ってもらうというのはどうです？」
というマリエの提案に、
「あんまり気乗りしないが・・・、今は我慢するしかないか・・・」
とイルシアは諦めた。
他のみんなも、ここにいるよりは逃げ出したい気持ちの方が強いので反対はしない。
「みんな、離れ離れにならないよう、固まって走るんだ」
「それでは、一部のユーリーちゃん達に先陣を切ってもらいましょう。向かってくる敵の方々はみんな、きっとユーリーちゃんを見ただけで逃げ出してしまうでしょうから。こちらも無駄な争いはしたくありませんし」
それでも立ち向かってくる敵は、恐らくラユル達のような仕打ちを受けるのだろう。
結局、そのマリエの案にもイルシアは賛成し、合図と共にみんな走り出した。
地下牢を出て、地上へ続く階段を駆け上ると、早速新手の用心棒に出くわしたが、予想通りユーリーにおののき、だいたいの者は逃げ出したり失神したりしていた。
やけくそ気味に立ち向かってくる者は、ユーリーの容赦ない尻尾打ちや、締め付けなどの攻撃を受け倒れていった。
そういった光景をマリエ特製『ユーリーシールド』から垣間見ていたイルシアは、改めて館内の様子を見てゲンナリする。
「巫女さん、派手にやってくれたぜ・・・」
関係のない娼婦や客達も驚いて逃げ出したりと、館内は混乱していた。
マリエはユーリーを館全体に召喚していて、その数と言ったらものすごい。さすがに『ユーリー慣れ』しているイルシアでさえも気分が悪くなるくらいに、蠢きひしめいている状態だった。
そんなユーリー達に気を取られてしまい、イルシアは失神して倒れていた商人ラユルに気付かず、踏んづけてしまった。ラユルは目を覚ます寸前だったらしく、踏んづけた瞬間、哀れな声を出して再び気絶した。
イルシアは一応、謝りの言葉をかけておいたが、聞こえたかどうかは定かではない。
「そんなことより！！お前っ、どれだけのユーリーを出したんだ！！」
イルシアは横を走っているマリエに叫んだ。
「見ての通り、いっぱいですわ」
「・・・」
全く遠慮がない。
さっきは魔物を召喚して良いかなどと、しおらしくわざわざ聞いてきたくせに。
「だって、こういう雰囲気を感じた場所、わたくし初めてで。なんだか不安になってしまって・・・」
「・・・・・・。そうか」
半裸の姿で逃げ惑う女や男達。
こういう世界には全く疎い彼女だから、目の当たりにしてきっと驚いたのだろう。だが、
「ところでここ、何する所なんですか？」
と、マリエに真面目な顔で訊ねられた。
イルシアはよろけて、壁にぶつかりそうになった。
「ホントに疎いんだな・・・」
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