第 10 話　

　事も無げに言うその言葉は時々、イルシアも見習わなければいけないと思うときがある。
言葉にしなくても伝わる事もあるのだろうが、言葉にしなくては伝わらない事もある。人間は自分以外の心の内など、読めはしないのだから。
「ただ、痛みを和らげたいんです。でも・・・何をしたら良いか、分からないんですけど」
　マリエには治癒する力が備わっている筈だとイルシアは踏んでいるのだが、彼女自身自覚がなく潜在的なものらしいので、スカリイのように自らの意志でその能力を引き出すという事が出来ない。
だから一般人のように薬を使うしかないのだが、イルシア的にはぶきっちょな彼女からの治療は遠慮したい。
しかし彼女の癒したいという気持ちは、ひしひしと伝わってくるので、その気持ちを汲んでやりたいとは思った。
どうしたものかとイルシアはしばらく思案したあと、上体だけ起こして後ろのマリエに振り向いた。
「巫女さんがキスしてくれたら、治るかもしれない」
　悪戯ぎみにマリエの顔を覗いた。
ぴよママにしていてたのを思い出し、冗談のつもりで言ったのだが、マリエは大きな目を真ん丸にして、きょとんとイルシアを見つめ返しているだけだった。
「・・・」
「・・・」
　どれぐらい沈黙が続いたのか分からなかったが、二人にとっては長い時間だっただろう。
マリエが口火を切った。
「そう・・・なんですか」
　真面目な顔で言われてしまい、言った張本人であるイルシアの方が顔を真っ赤にした。
「・・・ばっバカッ！本気にするなよなッ！」
「え〜っ」と、マリエは驚くと思っていたのに、その予想に反したリアクションにイルシアは狼狽を隠し切れず、再び彼女に背を向けた。
「違うんですか」
「あたりまえだろっ」
　冷や汗をかきつつ、力強く頷くイルシアだがその時、少し惜しい気持ちがなかったわけではない。
してくれたら、それはそれで悪い気はしないと思った。
しかしまあ、こんな��ちびマリ�≠ﾅは色気も何も感じない。
「あのー」
「なんだよ」
　ぶっきらぼうに返事するイルシア。
「イルシアさんて、色っぽい女性が好きなんですか」
「は？」
　マリエの唐突な話題に目を点にして、イルシアは顔だけ振り向いた。
「なんだか気まずい空気になったので、この場を和まそうと思いまして」
　イルシアはしばし沈黙したあと、「・・・気まずかったのは俺だけだろうが」と愚痴りつつも、「しかし・・・どっからそんな話が出てくるんだ？」と聞いた。しかも和むような話題か？と不思議にも思う。
「今日、助けた女性に見惚れてましたでしょ？」
「見惚れてたって・・・そんなわけじゃ・・・。あんな格好してりゃ、誰だって一瞬、釘付けになるさ。しかもあんな美人でグラマーな女・・・」
「え！あの女性を好きになってしまったのですか！」
「・・・なんでそうなる・・・」
　イルシアは呆れた。
「だってイルシアさん、わたくしを見る時よりも嬉しそうでした」
「お前ねえ・・・」
　根も葉もない恨み言に、段々イルシアも嫌気がさしてきた。
「美人でグラマーな女を間近にして、嬉しくないわけないだろ」
「じゃあ、わたくしが近くにいても嬉しくないんですのね」
　よよよ、と泣き出した。
嘘泣きだと分かっているので、構わず「そうだよ。あの人に比べれば、どっからどう見ても巫女さんは子供だもんな」ときっぱり言ってやった。
　胸元が大きく開いた露出度の高い服から、あの女の滑らかな体の曲線はよく窺えた。
確かにそれに比べれば、マリエはまだまだ子供の体つきだ。
十歳の体だから仕方ないかもしれないが、十九歳の彼女にしても華奢で、今にも壊れてしまいそうな細さだったのを思い出す。
「どうせ、わたくしなんて心も体も子供ですわ」
　マリエはいじけて、口を尖らせた。
その目に涙をいっぱいに溜めていた。
（ちょっと意地悪し過ぎたか？）
　いくら冗談でも、彼女を傷つけてしまったことに、イルシアは反省した。無言で自室に戻ろうとするマリエの手首を掴んだ。
「ま、待てよ」
　マリエは膨れっ面の顔で振り向く。
「その・・・少なくとも俺、本当に好きになる人は外見だけじゃ選ばないよ」
　マリエは空いているほうの手で涙を拭った。
「じゃ、わたくしのどこを好きですか？」
「どこって・・・」
　イルシアは言葉を詰まらせてしまった。
そんなことを急に言われても、気の利いた言葉が浮かばない。
「うーん・・・子供っぽいとこ？」
「・・・。慰めになってません」
　逆にマリエを不満にさせてしまった。
純粋なところと言えば良かった、とあとで悔やまれる。イルシアはしばらく頭を掻いて困っていた。
するとマリエに「わたくしは、そういうイルシアさんの不器用なところが好きです」と言われてしまい、今度はイルシアの方が仏頂面になった。
「巫女さんに言われたくない」
「くすくす」
　機嫌を取り直したマリエは、イルシアの顔を再度、覗き込んだ。
「まだ痛みますか？」
　痛々しい口の端の傷を眺め訊ねてきたので、イルシアは仕返しにわざと痛い素振りを見せた。
「さっきのお前の一言で痛みが増した」
「まあ。それはいけませんわね。それでは、わたくしが痛くなくなるおまじないをして差し上げます」
「おまじないねぇ」
　以前にもやられた気がする。
すごく幼稚なものだった筈だ。マリエらしいと言えば、マリエらしかったが。
今回もそんなものだろうと身構えていると、マリエはゆっくりと顔を近づけてきた。
イルシアは自分が映っているその翡翠の大きな瞳にぼーっと見惚れていたら突然、彼女の柔らかな唇が頬に触れた。
「・・・！」
　マリエはすっ、とイルシアから離れた。
「・・・おやすみなさい」
　顔を赤らめながらぺこりと素早く頭を下げると、部屋から出て行ってしまった。
「・・・・・・・・・」
　イルシアはキスされた頬を手で抑え、茫然とその背中を見送っていた。
「今の・・・？」
　突然の事で、なかなか我に返れない。ふと、今日という散々な一日が全て報われた気がした。
「・・・。・・・俺って結構、単純な生き物だったんだな・・・」
　と、イルシアは痛感していた。

第１０話　完