「・・・囮調査か・・・」
月影族でもそれは行われる。
証拠を握るには最も効率が良いのだが、リスクは高い。意を決し、覚悟を決めなければ出来ない仕事だ。
それが誰かのせいでうまくいかなくなったとなれば、感情的になってしまうのも分からない事もない。
イルシアが言葉を詰まらせていると、女の方は言いたい事を言い終えたのか、ふうっと息をついた。
「分かったなら、もう二度とあんな所をうろつかない事だな。でしゃばった真似をするな」
きつい口調でそう吐き捨てると、くるぶしまであるスカートを持ち上げて、その場を立ち去ろうとする。
「待てよ」
イルシアの低い声に、この上なく不機嫌そうな顔で女は振り向いた。
「何者だ、あんた」
こんな若くて美しい娘が、危険を承知で『身売り』までして組織を暴くなど、普通じゃない。
ハーバノンでは警備隊に女性も多く採用しているらしいが、警備隊はいわゆる役人である。悠長な彼らにしては大胆すぎる行動だ。
女は眉を潜めた。
「あんたこそ何者だ？さっきのあの生き物はなんだ？あんた達の所有物なのか？」
逆に聞き返されてしまった上、一番聞かれたくない事だったので、イルシアは苦虫を噛んだような表情になる。
「・・・遊戯団から珍獣が逃げ出したって聞いた。たぶん、それだ」
見ただけで、この世のものとは思えないような生物を召喚したわけではないので、あえて魔物だという必要はない。無理して見れば、ちょっと変わった・・・いや、かなり変わった鳥に見えなかったわけでもない。それに、マリエが魔物使いである事は絶対に隠しておきたい。
納得したのか女はふいと踵を返し、いずこかへと姿を消してしまった。
「まったく。朝の散歩にしては長いから、そのままデートでもしてるのかと思ってたのにな」
「そんな甘いもんじゃないよ・・・」
「そのよーだな。こんな傷をつけて帰ってきたところを見ると」
宿屋に戻ったイルシアは、殴られた時に切った口の端をシムに治療してもらっていた。
消毒液を綿に浸し、それを傷口に軽く叩く。
「イテテテ」
「我慢しろ」
「もっと優しくやってくれ！」
「じゃ、お嬢様にやってもらえば良かっただろうが」
「冗談じゃない」
イルシアは口を尖らせる。
あの不器用娘に治療なんかを任せたら、もっと酷い事になるのは目に見えている。
「ま、そもそもお前が悪いんだからな」
「なんで俺が！」
「お前はお嬢様の護衛だぞ。しかもエラマ様と国王からの命令でだ。だからお嬢様のどんな行動に関しても、お前は添い遂げなければならない義務がある。お嬢様の行動を非難する前に、己の護衛としての仕事の浅はかさを反省するんだな」
「・・・・・・」
部屋の扉を叩く音がした。
噂をすれば、である。
心配顔で現れたのはマリエだった。
「イルシアさん。傷の具合はいかがですか？」
「どうってことないですよ、こんな傷」
とシムは言ってのけるが、イルシア本人にしてみれば、たいした傷である。口の中も切って、痺れるような痛みが残っている。食べ物もうまく噛めない状態なのだ。
無言でむっとしていたが、更にシムが、
「こうなったのも、こいつが悪いんですから、お嬢様が気にすることないですよ」
などと、しれっと言ってきた時は益々、イルシアの顔は不機嫌になった。
「それじゃあ、あと頼みます」
気を利かせたつもりか、シムはマリエにそう言って出て行った。
「最低男め」
文句をもっと言いたいのだが、あいにく傷が痛む。
あまりの痛さに頬を抑えていると、マリエがしゃがんで下から覗き込んできた。
「痛むんです？」
「ああ。誰かさんのせいでね」
「ごめんなさい・・・。わたくしのせいですわね」
しおらしく俯く。
「・・・」
文句を言われたあの女の事だけでなく、シムに叱咤されたことも入り混じって、自分に腹が立っているイルシアは、マリエをはけ口にしていることに気付き、罪悪感を感じた。
だが、自分から折れるつもりはないので、撤回はしなかった。
「・・・終いにゃ、人助けのつもりが、ただのお節介だったしな。結局、最悪で無駄な時間を過ごしただけだった」
「反省してます」
「・・・」
珍しく素直な返答に、イルシアは調子が狂ってしまった。
「いつもだったら動じないくせに・・・」
いつもと様子の違うマリエに訝しがる。
「だって・・・わたくしの勝手な行動のせいで、イルシアさんとぴよママちゃんを傷つけてしまいましたもの」
「あの魔物、怪我したのか？なんでそんなこと分かる？」
マリエがあの倉庫にいた時、ぴよママは怪我など負わなかったはずだ。それに、イルシアが女を助けるために倉庫に残った時も、怪我をしている気配などなかった気がする。
「分かるというか・・・感じとるんです」
「感じとる・・・」
以心伝心で繋がっていても、彼女の事だから別段、不思議はない。
「治療してあげたいのですが。いいですか？」
「いいですかって・・・、ここに呼び出すのか！？」
イルシアの背中に悪寒が走った。
やめろと叫ぶよりも早く、マリエはあっという間にぴよママを召喚してしまった。
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