イルシアは二人に向かって「なんでもありません！」と、慌てて首を振った。
そしてすぐさまシムと横並びし、揃って歩き始めた。
ニヤニヤしながらシムが耳打ちしてくる。
「別にすぐじゃなくたっていいじゃないか。お嬢様の呪いを解いてからでも、レイランに戻るまでの時間がある」
「うるさいっ」
「プラトニックは、つれーぞ～？」
「余計なお世話だよッ」
くだらない助言にイルシアは仏頂面になり、
「それに・・・こっちに気があっても、あいつにはそんな気がないよ」と言った。
以前、彼女はアサエルに手込めにされそうになったが、ルーナの加護で守られた。
もしかしたらイルシアだって、彼女と一線を越えようとすればルーナの天誅に遭うかもしれない。なにせ、彼女は女神の愛娘なのだから。
「だいたい、あいつはそういうことに関しては疎いんだ。自分の子供はこうのとりに運ばれてやってくると思ってる、絶対。それか、ペリカンが運んでくるって平気で言いかねないね、アイツなら」
「ええー？嘘だろー？二十歳間近のご婦人だぜ？いくら純真無垢でも普通ならさぁ」
マリエの場合、その〝普通〟が通じないのが普通の事なので怖い。一筋縄で付き合えるような女性じゃないのだ。
そうだと分っていても、彼女を好きになってしまったのだから仕方がない。
押し黙ってしまったイルシアにシムは言った。
「ま、大丈夫さ。お嬢様が心身ともに許せる男は唯一、お前しかいないんだからさ」
ついにハーバノン王国へ入国し、最初の国境の街ヘブバンズへ到着した。
すっかり夕暮れになっていたし、歩き詰めで疲れており、とても街中を巡る気はしなかったので、すぐに宿を取って休むことに皆が賛成した。
その夜は、四人とも熟睡状態。
そして翌朝。
朝っぱらから、頭に響く声がイルシアの耳に響いた。
「ねえねえ、イルシアさん！！」
ベッドの上で横たわっていたイルシアの腕を、マリエが揺さ振った。
目を瞑ったまま、微動だにしない彼に業を煮やして「イルシアさんてば！！」と、更に激しく揺さ振る。
イルシアは唸りながら、
「あーもう！なんだよ！勝手に部屋に入り込んできて・・・」
「ちゃんと、シムさんの了解を得ましたわ」
壁際のテーブルに短剣を並べて、その手入れをしているシムを指差した。
「いつまで寝てるんだよ、イルシア。さっさと起きろよ」
「はいはい・・・」
寝癖がついた髪を撫でつつ、元気はつらつのマリエを眠そうにうさん臭く見つめた。
「それで、何？」
「お散歩しましょう」
「ええっ？今から？」
思い切り嫌な顔をしたが、マリエは気にもとめてない。
「そうです。とてもいいお天気ですのよ！さ、参りましょう」
「え、あ、ちょっと」
ベッドから無理矢理引っ張り出されてしまったイルシアは、慌てて上着を握り、肩に掛けた。
横を通り過ぎたときに「ごゆっくり」とシムに言われ、眠たいのにもかかわらず、キッと睨みつけてやった。
「なあ、巫女さん」
腹が減ったんだけど・・・と言おうとしたら、マジマジとマリエに見つめられてしまった。
「な、なに？」
珍しく、イルシアは顔を真っ赤にした。
「最近、〝巫女さん〟て呼ぶんですね。わたくしのこと」
「え・・・。だって、お嬢様って呼ばれたくないんだろ」
「名前で呼んで欲しいんです」
前々からそう言われ続けているが、数えられるくらいしか〝マリエ〟と呼んだことはないだろう。
普段はなんだか照れくさくて名前で呼ぶ気がしなかった。
「名前というものは、そのものの存在を示す大切なものなんですのよ。なのに・・・わたくしの名前、嫌いなんです？」
「べ、別にそういうわけじゃないけど・・・あっ、ああ！あんな所に屋台がある。お前も朝食まだだろ？俺、ちょっと買ってくるよ。ここで待ってて」
逃げるようにその場を立ち去った。
「ったく・・・。まともに聞いてたら、最終的には名前で呼べって強制されるからな・・・」
マリエの相手をする場合、時には〝逃げるが勝ち〟ということを最近、覚えた。
でないと、お得意の魔物の脅しが待っている。
「そんなのは勘弁だ」
焼きたてのパンと、二人分のミルクを買った。
とりあえず食べ物で釣っておいて、さっきの話題を忘れてもらおうと考えながら彼女の元に戻ろうとしたら、その姿は忽然と消えていた。
「あれ・・・？」
怒って帰ってしまったのだろうか？
だが宿からかなり離れた場所だから、方向音痴のマリエには到底帰れやしない。
「待ってろっつったのに」
おそらく、またいつもの迷惑極まりない〝勝手な行動病〟に違いない。
興味あるものに一目散に駆けて行くあの癖は、いまだ治っていないらしい。しかし、それならそれでいい。もしかしたら、連れ去られたということもあり得る。彼女は何かと狙われている身だ。
そう思ったら、イルシアは顔面蒼白になった。
「あのバカ、どこ行ったんだ！？」
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