巡邏から王都メザイに戻ったシムは、その足で長老の元へと急いだ。
「ご苦労であったな、シム。それで、何かめぼしい情報は手に入れたのか？」
顎から伸びた立派な髭を撫でながら、月影の長老は問う。
いくら血の繋がった祖父であっても、一族を統率する長である。シムはかしこまって一礼した。
「はっ。惜しくも、魔術師と貴族ノーガス家の関連に関しては何も。なぜノーガスが魔術師を雇ったのか、見当もつきません」
「そうか・・・。さすがにノーガスよの。慎重に事を運ばせておるようだな」
「ですが、魔術師の身上調査は滞りなく進みました」
「よくやった」
それだけでも、かなりの収穫だ。長老は満足げに頷いた。
「申してみよ」
「はい。魔術師の名はダンゼル。年齢不詳ではありますが、魔法らしき術を使えるのは確かなようです。既にこの街へ来ているらしく、その道中にダンゼルを襲おうとした追いはぎ三人を、彼は術で殺しています」
「腕は立つ・・・ということか」
「ええ。しかも、彼は邪宗教を信仰しているようです」
重々しく呟いたシムに、長老は目を見張った。
「アメシア教か！バイブと同じではないか」
バイブは密かにアメシア教を信仰していた元・宮廷魔術師の女で、宰相アサエルと共に魔界を開こうとしていた人物だった。しかしその野望は、エラマやイルシアらによって打ち砕かれ、現在は二人とも行方知れずである。
「ノーガスの真意は分かりませんが、もしかしたらもしか・・・、かもしれませんね」
「アサエルとバイブに代わり、ダンゼルを呼び寄せ、魔界を開こうとしている・・・ということか？」
そう唸る長老にシムは頷いた。
しばらく考え事をしていた長老は、その老体には感じられない機敏さで椅子から立ち上がった。
「シム。明日、エラマ様をお呼びしろ」
「はい」
「ノーガスがどう出るか分からぬが、最悪の事態にならぬように予防線を張っておく必要があるだろう。マリエ様の身の安全を確保するよう、進言する」
密会。
・・・というと聞こえは悪いが、確かにそうなのかもしれない。
マリエはまだ、后候補と噂されている身だし、イルシアも月影の仲間の誰にもマリエとの事を話してはいない。
やはり最初にエラマの許しを得ないことには、公然とできなかった。
言わば、禁断の恋なのかもしれない。
エラマに反対されるのは目に見えている。
なんと言っても身分が違うし、マリエの血を後世に残したくないエラマにとっては、マリエの色恋沙汰など面白くないに決まっている。
それでももう、イルシアとマリエの想いは止まる事はできない。もし猛反対されれば、シムが言っていたように、二人で遠くで暮らすまでだ。
なるべくならばそんな事はないように・・・と願っているイルシアは近いうち、エラマに打ち明けようと考えていた。
 「イルシアさーん！」
息を弾ませ、丘の上から駆け下りてくるマリエ。
危なげなその足取りに、イルシアはハラハラしながら彼女を迎えた。
「・・・。あんたね、そうやって叫びながら来るの、やめてくれないか」
しかも喜びながら、だ。
「なぜですの？」
案の定、何も考えていない。
イルシアは大きく溜め息を吐いた。
「仮にも、巫女さんは『王子様の后候補』なんだからな。それを他の男と会ってるなんて知られてみろ。街中のいい噂にされるだけだ」
「大丈夫ですよ。この時間は、もう信者の方もいらっしゃらないし、神殿の者もこんな道をわざわざ通って帰りませんから、誰もいません」
マリエが勤めているキュロイ神殿は、小高い山の上に建っている。
その神殿の裏門から出て、麓へ下りていく途中に雑木林があった。その中が二人の待ち合わせ場所になっていたのだが、舗道から外れた場所にあるので、目立たないと言えば目立たない。
それに夕方なので、ひとけが少ないのは確かだ。
「そりゃ、こんなとこ、誰もきやしないかもしれないけど・・・」
半年間という空白の時間を埋めるかのように、彼女と毎日会っているのだ。
そうすれば、いつか誰かに見つかる可能性はある。
「大丈夫です。特に今日は。王都をあげての収穫祭の初日ですもの。今頃は既に皆が街に繰り出していますから、この辺りに人はいませんわ」
にっこりと微笑む。
考えられる事ではあるが、相変わらずの楽観主義だとイルシアは思った。
この女の辞書には、『万が一』という言葉はないらしい。
「おなかが減ってしまいましたわ。今日は美味しいもの、食べに行きましょう！」
イルシアは呆れ顔で頷いた。
毎日会っていると言っても、ほんの数時間だけだ。
お互いの仕事が終わってから会っているので仕方ない。それにマリエは、夕飯の時間までに帰宅しなければならなかった。
それは、あまり遅くなるとチャウラやエラマに怪しまれるということを懸念しての事なのだが、今夜は珍しく、イルシアと一緒に食事をしていた。
「今日はチャウラになんて言って、出てきたんだ？」
焼きたての肉を口に頬張りながら、マリエに訊ねた。
水を飲んでいたマリエは、「今日はお祭りだから、お友達とお夕飯食べてきます、と言ってきましたけど」と答える。
「うそつき」
イルシアに悪戯っぽく呟かれ、マリエは口を尖らせた。
「だって・・・。また、イルシアさんとしばらく会えなくなってしまうんでしょ。だから今日は少しでも一緒にいたいんです」
悲壮めいた彼女のその気持ちは嬉しくもあり、愛しいとも思うのだが、「今日は疲れたから、これ食って、さっさと帰るぞ」と口では言ってしまう。
イルシアは既に休暇が終わり、次なる巡邏の仕事が決まっていた。
下準備の為にあと数日は、王城での内勤をする事になっているのだが、きっと忙しくなるのでマリエと会っている暇も今日限りで当分、なくなってしまうのだ。
「今日はお祭りなんですよ。わたくし、一度でいいから夜のパレードを見たいんですけど」
甘える声に、イルシアは溜め息を吐いて頬杖をついた。
「あんな人ごみの中へ行くのかよ？俺はイヤだ」
「イルシアさん、冷たい」
両手で顔を覆い隠す。
また始まった。
イルシアはうなだれたい気分になる。この嘘泣きに、何度騙された事か。
しくしく泣いているマリエに、両隣の客らが気付いて、マリエを見てから「この男が泣かしたのか」と、非難がましい視線でイルシアを射抜いてくる。
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