喧騒が消えた。
そしてすべて・・・主をなくし、召喚された魔物達も。
そんな静寂を取り戻した中で、ルーナは風に吹かれていた。
「フィオーリ・・・」
その名で彼女を呼ぶのは、この世でただひとりしかいない。愛し愛された男、エラマだ。
シムとルーカの肩を借り、歩み寄ってきた。
「あなた・・・」
懐かしそうに・・・だが彼の負傷している姿を心配そうに見つめる。そしてルーナは手をかざし、癒しの力でエラマの傷口を塞いだ。
「ありがとう」
「いいえ」
エラマはルーナの手を取った。
「何十年と会っていなかったけど・・・君は、あの頃のままだ」
「これはマリエの身体だからだわ」
ルーナは少女のように、はにかんだ笑みを見せた。
「しかし、なんの儀式もなしに、よくマリエの身体に降臨できたな」
「この子は私達、神に近い存在だからかもしれません。それに、この土地だからこそ出来たのでしょうね」
ルーナは懐古する瞳で、辺りの風景を眺めた。
「そうだね。ここならば君は来てくれると思ったんだ。どんな魔王の呪力でも、ここならばくぐり抜けてね。そして、やはり来てくれた」
「・・・皮肉なものね。こうして娘を犠牲にしなければ、あなたに逢えないなんて」
エラマは苦笑した。そして悲しげなルーナに「人間界に戻る気は、やはり無いんだね」と呟く。
「・・・そうね。私は、バイブやアサエルに少し共感を持っているのかもしれない。憎しみは持っていないものの、人間への反感する思いは一緒だったわ」
「ああ。でも、助けてくれた」
「私の大切な人だからよ・・・」
そう言ってルーナは切なげに瞳を見つめてきた。そして頬に軽く口付けしてくれた後、するりとその手はエラマから抜けた。
「マリエをとってもいい子に育ててくれてありがとう。人間界に残して良かった・・・」
離れていくルーナは、涙を浮かべていた。
「・・・フィオーリ。ずっと、愛してるよ」
「私もよ、エラマ。永遠に忘れない。・・・さようなら・・・」
背を向け、足早に去っていく。金色の揺れる髪に目をそらさずにはいられなかった。
「二度目の別れ・・・か」
エラマは、傷口より痛む気持ちに耐えながら見送った。
「さよなら・・・」
エラマから離れたルーナは、イルシアの元に戻った。
木にもたれかかって、血の気の引いた顔をしている彼の横にしゃがんだ。
「天界に帰る前に、その傷を出来るだけ治癒して差し上げます。かなりの傷だから、完治して差し上げられませんけど」
「あの、ルーナ・・・」
「なんですか？」
「なぜ、あいつらを始末しなかったんです？」
脂汗をかきながら、イルシアは問う。
ルーナは少しばつの悪そうに目を伏せた。
「・・・あなた方にとっては、納得いかない結末だったとは思います」
人間界を魔界にしようと企んでいた輩（やから）達だ。
イルシアやエラマ達にとっては憎むべき者達。それをみすみす見逃してしまったのだから、彼らが憤慨してもそれは当然のことだとルーナは思っていた。
だが、イルシアは首を振った。
「あなたの娘も、やりそうなことですよ」
ルーナはきょとんとする。
その表情は子供っぽく、マリエに似ていた。やはり親子なのだ。
「どんな奴だって戒めず、話し合いで解決すると思ってる。あの巫女さんは。初めて会った時から、そうだった・・・」
山賊に襲われそうになっていた彼女を助けた時のことを思い出し、小さく笑った。
あれからそんなに月日は経っていないのに、随分、遠い昔のことのように思えた。
「怒っていないのですか？理不尽だとお思いにならないのですか？」
「そんな言葉、今に始まったことじゃない。お嬢様にはだいぶ毒されてしまいましたから、慣れてしまいましたよ」
と、寂しくルーナに微笑んだ。
「イルシア・・・」
「気にしないで下さい。奴らもきっと、これに懲りてあんな真似は二度としないでしょう。それに、あなたの力が借りられたことだけでも充分です。あなたのおかげでみんな、命拾いしたんですから・・・」
「ありがとう、イルシア。あなたは優しい人だわ」
「お礼なら、お嬢様に・・・。あの人には、色々教わりましたから」
「私も、あの子の影響を強く受けてしまったみたいですね」
ルーナは苦笑した。
イルシアはそれにつられて口の端を上げたが、すぐに苦痛のうめきを吐いた。
背中がいまだ、痛みで疼（うず）く。
ルーナの癒しを受けてもだ。その痛みで意識が朦朧としてきたせいか、幻想のように目の前のルーナが、翡翠の瞳を持つマリエと重なって見えてくるのだった。
「・・・最後に別れの言葉も何も、言えなかった・・・」
ただ、それだけが心残りだった。
「イルシア、ゆっくりお休みなさい・・・。もう、煩わすものは何もないのだから」
「・・・」
あれだけ煩わしいと思っていたマリエさえもいなくなった。
本当に、自分の周りから何もかもが無くなったような気がした。ひどく寂しい気がする。
ルーナの手が、そっとイルシアの顔をなぞった。
その手から、安らぎが体中に注ぎ込まれていく。ゆっくり、ゆっくり、眠りの底に落ちていく自分がわかった。
その途中、「さようなら・・・」と呟く、ルーナの声が耳に流れた。
「これで本当に・・・さよなら・・・か」
それは声にならずに心に抱いたまま、イルシアは深い眠りに就いた。
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