エラマは再び剣を構え直し、バイブに剣先を向ける。
「分かったか、マリエ。あの女が改心する望みはない。今日こそ決戦の時なんだよ」
「あの人をああしてしまったのは、この世界なのに？」
この上なく悲壮の面持ちで父を見上げる。
「マリエ様。私は、悪足掻きはしたくはありません。私の心配より、自らの身を案じた方が良いかと思われますが？」
「減らず口叩いてると、危ないぜ！」
いつの間にかバイブに近寄っているシムは、さすが間者とあって素早い動きだった。
短剣にしては刃渡りがかなりある剣で彼女の喉元を切り裂こうとしたが、かすっただけだった。しかし狙いが違ったわけではない。
バイブは魔法で見えない盾を作り出しているのである。
「命は大切にするものよ」
そう言いながらバイブが掌をシムに向けると、そこから火炎が吹き出した。
避けてはみたが、飛び火がシムの上腕部の服と皮膚を焼いた。
「くっ！！」
「シム！」
「他人に気を取られていると、命取りになってよ」
シムに注意がいっているルーカに忠告し、すぐさま、同様の魔法をルーカに浴びさせた。
身を翻し、そこは難なく避けられたが、バイブは新たに術を放つ準備に取り掛かっている。ルーカが反撃するよりも早く、バイブの口から短い呪文が唱えられる。
すると、耳をつんざくほどの地響きが高鳴り、大地が揺れ動いた。
「こっ、これは！」
エラマとマリエの間に地割れが起き、二人は離れていく。
「父様！」
手を伸ばすが届かない。
容赦なく地面は揺れ続けた。
地面の波にもまれて、マリエの姿が遠ざかっていく。
「マリエ！」
そしてしばらく大地は陥没、隆起を繰り返した。
地上に飛び出したイルシアは驚いた。
昨日の光景とは、全く似ても似つかない惨状だった。
「兄さん！」
傍らにいたレビイが、腕の痛みを押さえて唸っているシムの姿を見つけ、その元へ駆け出していく。
「だ、大丈夫！？」
「ああ・・・それより、ルーカは・・・」
「ルーカはこっちだ。気ぃ失ってるけど、怪我はしてないから大丈夫だ」
ルーカの上体を起こし、手を振っているイルシアを見てシムは安堵の溜め息を吐いた。
「何が起きたの？いったい」
「バイブが現れた」
「何！？」
「エラマ様とマリエお嬢様も一緒だったが、見失っちまったんだ。イルシア、急いで捜してくれ！！」
「分かった！」
ルーカをレビイに預け、イルシアは即座に駆け出した。
どの方向に行けばよいか分からなかったが、左の遠方で怪しげな光が差している事に気付く。それは柔らかな温かみのあるものではなく、刺々しく忌まわしく感じる光だった。
「アサエルか？」
なんとなくそんな気がしたが、彼ではなかった。
あの体の線の細さはバイブだ。彼女は宙に浮いている。球体に包まれているのは、恐らく魔法による防壁だろう。
「あの魔女っ！」
一度ならずと二度までも、マリエを生け捕りに現れたことに憤慨を覚えたイルシアは、無意識に剣を抜いて駆け出していた。
先程とは、うって変わった場所になってしまった。
木陰を作り出していた大木は斜めに傾いて、大地に張り付いていた根も地面から飛び出てしまっている。
エラマは隆起した地面と岩の合間に挟まれたが、なんとか這い出た。
「マリエ！マリエ、どこにいる！？」
見失った我が子を捜すが、頭上にバイブが宙に浮いているのに気付いた。
バイブは自らの術にはまらぬよう、あらかじめ身体を宙に浮かせていたのだ。
「マリエはどこだ！」
「さあ・・・？おや、まだ邪魔者がいるようね」
茂みから男が飛び出してきた。
それは抜き身の剣を手にしたイルシアだった。
「お前はいつぞやの、マリエ様の護衛・・・だったかしら」
「覚えていてくれたか」
「名前もちゃんと覚えていてよ？イルシア」
「うれしかないけど、まあ、光栄だって思っとくよ」
足元の悪さに舌打ちしながらも、イルシアはバイブに剣先を向けた。
睨みつけるイルシアとエラマの真摯な瞳に、バイブは嘲笑めいた笑みを見せた。
「・・・魔物使いでありながら、マリエ様も果報者ですね。言わば彼女は人間どもの敵である筈。私達と仲間になりえる方なのに、お前達のように守ってくれる人間がいるのだから」
「マリエが果報者だと？」
エラマは苦々しく吐き捨てた。
「あの娘だって、お前のように苦行の運命を背負って生きている。マリエがあの王都で暮らせたのも、魔人の能力を完全に制御できるまで、私が世間に介入させないよう仕向けたからだ。周囲の人々に知られてしまえば、迫害を受けていただろうからな。だがそれを免れた見返りにマリエは長い事、孤独を背負った・・・」
エラマには分かっていたのだ。
マリエの幼少時代・・・マーユの孤独を。
イルシアはエラマの横顔に、罪の意識を感じることができた。父親として、マリエへの罪深さをずっとこの人は背負ってきたのだと。
だがバイブは、それがどうしたと言わんばかりにエラマを睨みつけた。
「マリエ殿にはまだ、お前達がいるから救いがあるではないか。私はね、もっと何倍もの孤独と屈辱を味わってきたのだ」
エラマは、剣を持っている腕を伸ばした。
「貴様は、マリエをただ妬んでいるだけだ」
バイブの眉が微妙に動く。
そして瞼を閉じ、口の端を上げた。
「・・・おしゃべりがすぎたようね。エラマ、お前達のあがく姿をじっくり見物させてもらうわ」
「決着はついてないぞ！」
「私の役目はここまで。仕上げは、あの男がやってくれるわ」
彼女は姿を消した。
そしてすぐ、稲妻が地上に降る。
それと共に目の前に現れたのは、巨人を伴ったアサエルだった。
仰々しい顔の巨人は、背中にコウモリのような翼を広げ、邪悪な意思を漂わせており、しかもその鋭い爪を持つ手には、ぐったりして気を失っているマリエが握られていた。
アサエルは一歩進み出て、イルシアとエラマに向かって不敵な笑いを浮かべた。
「フフフ・・・。これは素晴らしい顔ぶれではないか・・・」
第１９話 [ 完 ]
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