夜が更けても、マーユの熱は下がらなかった。
イルシアとマリエの献身的な看病にもかかわらず、先程に増して熱は上がってきているように思えた。
「そう言えばここに来る前、マーユの奴、高熱出したよな。あんた、幼少の頃は体弱かったんじゃないのか？なんかこう、普段のマーユって顔色悪いし」
「そう言われてみれば、よく寝込んでたって、チャウラから聞かされた事があります。一度、ものすごい高熱で生死をさまよったことがあったって・・・」
「まいったな。万が一、マーユが死ぬようなことがあったら、今のあんたはどうなるんだ！？」
「『過去』のわたくしがいなくなれば当然、『現在』のわたくしもいなくなるでしょうね」
けろっとした顔で。
「あんたな、自分のことだぞ。もっと深刻になったらどうだ？」
「大丈夫です」
「自信ありげだな」
「ずっとそばにいて、看病してあげるんですもの。わたくしもイルシアさんも。だから大丈夫。ね、そうですよね、イルシアさん」
『孤独』にならないように。目覚めた時、淋しい思いをさせないように。
そういう彼女の願いがイルシアに伝わってくる。
「イール・・・パパ」
マーユが絞り上げるように呼びかけてきた。
「マーユ！」
小さな手がそっと伸びる。それを両手で包んだ。
「大丈夫だから。安心して眠るんだ」
「くる、しい・・・よ」
さっきにも増して息が荒くなっている。
「つらいのか！？待ってろ、すぐ医者を呼んで・・・」と、立ち上がったイルシアの手首をマリエがとらえた。
咄嗟に振り返ると、重々しい表情で彼女は首を横に振った。
「行かないで下さい」
「・・・！？なんで！死ぬかもしれないんだぞ」
「マーユちゃんを・・・この子の脚を見てください」
そう言われ、上から見下ろしたイルシアは目を見張った。
「こ、これは！？」
マーユの脚がうすく、半透明に見えるのだ。恐る恐る手を伸ばして触れようとしてみたが、見事にすり抜けてしまった。
「どういうことだ・・・」
「帰るときなのかもしれない・・・」
「『過去』に？マーユがいた、元の世界に帰るのか！」
マリエは頷いた。そしてマーユの額にその手をそっとのせた。
「マリママの手・・・、冷たくて・・・気持ちいい」
目だけを横に動かし、微笑むマーユ。
「ねえ、マリママ。マーユ・・・、これから、どこ、行くの？」
「どうして、そう思うの？」
「ん、なんか・・・そんな気す、る。なんか、ずっと遠い、とこが見える・・・」
イルシアとマリエは顔を見合わせた。
彼女は『過去』を感じているのだ。やはり今が『帰るとき』なのかもしれない。
マリエはマーユの髪を撫でた。
「きっとその場所は、マーユちゃんの本当のおうち。父様とチャウラの待つおうちです。マーユちゃんはそこに行けるのです。いつでもあなたに、絶え間ない愛情を与えてくれる人のいる場所へ」
「・・・ふうん。ね、イールパパもマリママも、一緒、だよね？」
いいえ、と口惜しくも言おうとしたマリエをイルシアが制した。
「イルシアさん・・・」
物悲しい瞳のマリエにイルシアは首だけを振り、そしておなかのあたりまで体が薄れてきているマーユの手を再び握った。
「ゆっくり眠るんだ。心配しなくてもいい。俺もマリママも、マーユを見守ってるから」
「・・・目ぇ開けたら、ふたりとも、ここにいてくれる？いなくならない？」
「ああ。ずっと、そばにいる」
ずっとそばにいる。
それがマーユの安心するところなのだ。たとえ遠くに行ったとしても、きっと心の中にいる。
イルシアの言葉に安堵したのか、マーユはゆっくりと瞼を閉じた。そしてイルシアの手をぎゅっと掴み、
「マーユねぇ、みんなに好かれるように、いい子に、なる。小鳥さんも友達に・・・なるから・・・ね。だから、これからずっと、一緒に遊んで・・・ね」
「マーユ・・・」
掌の中の幼い手の実体が、なくなっていくのが分かった。徐々に透けて、なんの感触も感じられなくなっていく。
「マーユ、また逢えるから・・・！」
それが聞き届いたか届かなかったかは分からなかった。眩い光が部屋を覆い尽くした、その一瞬の出来事だったから。
光が薄れ、瞼を開けた二人の目の前にはもう、誰もいない。
マーユは消えた。
安らかな寝顔を見せたまま。シーツのしわとぬくもりを残して。
「・・・行って、しまった・・・」
マーユの運命を受け入れた矢先に、この突然の別れだ。あの幼女との思い出さえ、今はまだ実感として残っているのに。
見るものすべてに好奇心を溢れさせていた。わがままで、時々口が悪くなる。そして、あの笑顔。
そのマーユは遠いところへ行ってしまった。
『現在』にいる者が決して行けない、『過去』の世界に戻ってしまったのだ。
「・・・だけど、サヨナラなんて思わない」
横に座っているマリエを見た。マリエも同時にイルシアを見上げた。
「十四年後、また逢えますものね」
「ああ」
現にこうして再び巡り逢ったのだ。
成長したマーユに。
外は既に朝を迎えようとしていた。
第１５話[ 完 ]
第４部 『 いさよう月 』 へ つづく
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