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「ここにじっとしていろ」
声を殺しながらマリエに呟く。
そして足音を立てず、扉の方へと近づいて行った。間髪を入れず、イルシアは思い切り戸を引いた。
すると、痩身の男が部屋の中になだれ込んできた。男は扉に張り付いて、聞き耳を立てていたのだろう。扉が開いた勢いでよろめき、不様に床にうつ伏せになっている。
そして片手に短剣を握り締めていた。イルシアはその手を踏みつけた。
「夜這いにしては、物騒な物を持ってるもんだ」
短剣を蹴り飛ばし、男を荒っぽく起こさせた。
顔を拝ませてもらおうと、胸ぐらを掴む。
食堂の前ですれ違った店員だった。見つかったことに狼狽していて、冷や汗をかいている。
「た、助けてくれ。命ばかりは・・・」
「代わりに質問に答えてもらおうか。あの女を狙ってきたんだな？」
視線は男を睨みつけたまま、顎でマリエを示した。
店員は、ぶんぶんと勢いよく首を縦に振る。
「あいつを殺し、所持している本を奪えと・・・」
「誰にだ」
「知らない。最近、ここに泊まりにきた奴だ。持ち掛けてきた報酬が高額で、引き受けた」
「イルシアさん！」
悲鳴にも似たマリエの声に、顔を上げた。
もう一人の別の男が短剣をイルシアに向け、駆け込んできた。恐らく同じ店で働いている仲間であろう。
イルシアは先の店員を壁に突き飛ばしてから、襲い掛かってくる敵に回し蹴りを見舞ってやった。
だが転げ倒れたのを見送る暇もなく、今度は横から殺気を感じた。
命乞いをしていた店員が早々と、短剣を拾い上げていたのである。まったく、欲の深い人間というのは恐ろしい執着心を持っているものだと、一瞬感心してしまった。
「イルシアさん、危ない」
そう叫ぶマリエは、両腕を上に広げた。
すると一瞬、その掌の周りに光が凝縮した。そんなことはあり得ないのだが、少なくともイルシアにはそう見えた。
そしてどこからどう現れたのか、彼女の頭上には、モゾモゾ動きながら光っている物体が幾つも浮いていた。マリエはそれらをイルシアを襲おうとしている店員めがけて投げつけた。
得体の知れない光に包まれた店員は、身動きできなくなってしまった。
さすが巫女だけあって、魔法を使えるのかと感心していたイルシアだったが、その物体の光が次第に薄らいできたとき、目を丸くし、絶句した。
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「うわあああぁ」
悲鳴を上げたのは店員である。
それもその筈、自らを取り巻いているもの・・・・・・それは生き物であった。この世のものとは思えない、決して存在しない生き物だった。
ティアドロップの形をした身体には、大きな目が一つしかない。
「なっ、なんなんだっ、これはっ！」
傍目から見ているイルシアさえ、腰を抜かしそうになって壁に寄りかかり、マリエに向かって叫んだ。
「何って、味方です。わたくしの」
両手を胸で組み、ニコニコしている。化け物がこの女の味方というのは理解できても、イルシアにとって初めてのこの状況は冷静になれない。
それは刺客の二人も同じである。
一つ目の生き物は、片割れの刺客の方へも動き出した。宙に浮きながら、スーッとイルシアの目の前を通り過ぎる。
まるで火の玉のようだと思いつつ、固唾を呑んだ。
刺客達は擦り寄ってくる化け物によって恐慌状態に陥り、総毛だっている。
「と、とにかく、今のうちに逃げるぞ」
イルシアは声を裏返しながらもマリエを促し、心許ない足取りで扉へ向かった。
「こんな夜更けに、どこに逃げるんですの？今夜はここで泊まるんじゃなかったんですか」
事態を全く把握していない娘に、怒鳴りつけたい気持ちになるが、今はこの化け物から離れたかった事が優先して無視した。
宿を出て、二人は暫く当ても無く歩いた。
「そういえば、あそこの宿代を払っていませんけど」
「客に愛想のないあんな店に、そんな義理なんてあるもんか」
不機嫌にづかづか歩くイルシアの足が止まった。
「おい。さっきの化け物、あのままにしてきたけど・・・他の客に危害を加えたりしないだろうな」
「大丈夫です。ちゃんと、元のおうちに帰るんですのよ。ユーリーちゃん達は」
「ユーリーちゃん・・・」
化け物に愛称を付けているマリエに、イルシアはうなだれた。本当にこの女は何を考えているのか、皆目見当がつかない。
「あっ。それとですね、化け物じゃありませんのよ。あの子達は、魔物です」
「魔物！？あんた、魔物使いか！」
「はい」
悪びれも無くにっこり。
だから覆面の奴等に対抗できたのか、と納得できた。魔物なんか見たら、どんな悪党でも驚いて手出しができないに決まっている。
「父様に知れたら、怒られてしまいますわ。人前でこの力を使うなと、何度となく言われてますから」
当然である。魔物は、古（いにしえ）の災いなのだ。
そんな力をよそ様に見せれば、世間から非難の嵐が吹き荒れるのは目に見える。
「父様には内緒にしておいて下さいね」
そう言って舌を出し、マリエは歩き出した。
イルシアはその背中を見ながら、巫女でありながら魔物を操るマリエこそ、裏の世界を歩む自分より得体が知れないと思った。
それに加え、マリエが王ではなく、他の何者かに狙われているのは間違いないことが分かった。
これから、今日みたいなならず者達に出くわすのかと思うとウンザリしてしまうイルシアは、更に複雑なことに巻き込まれていくような嫌な予感を感じた。
夜道を楽しげに行く、マリエの図太い神経が羨ましい。
イルシアは、その後を重い足取りでついていった。
第２話 [完]
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