出航の日。
船出前の準備で、船員達がせわしなく働いている。
船が出るまではさしてする事がないイルシアとマリエは、甲板の上に出て、穏やかに波打つ海を眺めていた。
「やっと、ファリア大陸に行けるんだなぁ」
「そうですね。とってもワクワクしますね！」
イルシアはいつもの如く、ハァー・・・と溜め息をついた。
「どうかしました？」
「あんたね、観光で旅をしてるんじゃないんだぞ」
「分かってますわ。わたくしの姿を元に戻すため、ですよね」
「じゃー、なんなんだよ。その『ワクワクしますね！』ってーのは！！」
「わー、イルシアさんてば、わたくしの物真似、お上手ですわね」
パチパチと拍手して、マリエは喜んだ。
「・・・」
今度は声にならない溜め息。
ファリア大陸へ行けば、伝説の魔女の情報が得られるだろう。
それでもし、そんな魔女がいないとなれば、マリエの姿を戻す事はできないまま、レイランに戻らなければならない。イルシアとしては魔女がいない方が確率的に高い・・・と考えているので、その時はその時で仕方ないと思っている。
だが、呪いをかけられた本人が、不安を感じないままこんなにも能天気に構えていると、イルシアの方が心配になってくる。
「まー・・・今に始まった事じゃないけどさ・・・」
「イルシアさんだって、ワクワクしません？海を越えていくんですのよ」
「そりゃあ、ちょっとはな。だけど巫女さん程じゃないと思うぜ」
絶対そうだ、と思う。
その時ふと、誰かが呼んでいる声が聞こえた。
振り向くと、ファナが走ってくる姿が見えた。
彼女はイルシアとマリエの元にたどり着くと、「ここにいたんだ。随分、捜しちゃった」と息を切らせながら呟いた。
「船長からの伝言で、もうすぐ出発するらしいわ」
「そうか」
そう言えば、動き回っていた船員達は自分の定位置についている。
「船長にも挨拶し終えたし、そろそろ私、船を降りようと思って。このまま乗ってたら、一緒にファリア大陸に連れてかれちゃうからね」
とファナは微笑んだ。
そしてイルシアに右手を差し伸べた。
「元気でね、イルシア」
「ああ。ファナも」
硬く握手した後、ファナはマリエとも握手をした。
「あ、そうそう。これだけは言っておかなくちゃ」
思い出しように、ぽんと手を叩く。
「二人が兄妹じゃないってこと、信じてあげる」
「えっ・・・」
イルシアは少し驚いて目を瞬かせた。
「それと、あなたの身分の事、誰にも言わない。あなたの仲間達のことも他言しないから安心して」
「ファナ・・・ありがとう」
「ううん、お礼を言うのは私の方。ずっと人さらい組織を潰す事に躍起になっていた私を、ここまで変えてくれたのはマリエさんだったしイルシアだった。感謝してる。それに比べて、私なんて迷惑かけてばかりだったから、二人には謝ることしかできないんだけど・・・」
「そんなことないさ。自分を変えることができるのは何者でもない、自分自身の力だろ。変わるきっかけが俺達だったとしても、ファナには自分自身を変える力があったってことだ。そういう今の自分に自信もてよ、な？」
「うん・・・ありがとう、イルシア」
イルシアにそう言われると、そう思えるから不思議だ。嫌いなはずの自分自身を好きになれる。
そして、彼のことをもっと好きになる。
程なくして船員の「錨を上げろーッ！」という号令が響いた。
「そろそろ行かなきゃ！二人とも、体に気をつけてね。それじゃ」
ファナは、すぐには忘れられない彼への思いを振り切るように背中を向け、走り出そうとする。それをイルシアが呼び止めた。
「何？」
「その・・・また、会えるといいな」
なんだか、このまま別れてしまうのは名残惜しい気がした。
この知り合えた時間をずっと繋ぎとめておきたい。だが、先へ進まなければならないイルシア達にはできない事だった。
そして同じ気持ちのファナは、その言葉にそっと頷き応えてくれた。
「いつでもカイル王子とリリアナ姫の御殿に来て！あなた達はハーバノンにとって大切なお客様だから、私が手厚くおもてなしする。それに・・・」
そしてくすっと笑った。
「私達は『仲間』、でしょ？」
「ファナさん・・・」
ファナはマリエに向かって微笑んだ。
「仲間だなんて言ってくれて嬉しかった。私みたいな人間でも・・・」
「わたくしの方こそ！お友達が増えて、わたくしも嬉しいです！」
友人が少ないマリエにとって、それは本音だろうとイルシアは思った。いや、彼女はいつだって本音で語る人なのだが。
「ね、だからイルシア。私に会いにくるの、忘れないでよ」
「ああ。絶対、忘れないよ」
「それに私、マリエさんの元の姿を見てないわ。ねえ、イルシア。あなたの恋人、見せてくれる約束でしょう？」
「へ・・・？」
ファナの言う意味が分からなかったが、すぐ「なるほどね」とイルシアは納得した。
「その約束、忘れないで！それじゃあ・・・さよなら！」
片手を大きく振りながら、ファナは駆けて行った。笑顔を残して。
「さよーならー！」
マリエもその小さな手を振った。
ファナの姿が見えなくなるまで。
「またいつか、ハーバノンに来なくてはいけないですね」
「ああ。そうだな」
その時は、マリエの姿が大人に戻った時だ。
マリエと一緒に、またファナに会いに行こう。必ず。
彼女との約束を守るために。
この誓いが、近いうち現実となるようイルシアは願った。
「あ、イルシアさん。カモメです、ほら！」
「ほんとだ」
小さな巫女が指差す頭上を、イルシアは眩しげに仰ぐ。
空を旋回している数羽のカモメは、別天地へ向かう二人を祝福してくれているようだった。
第２１話 完
第４部 『 月に願いを… 』 へ つづく
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