「長老！」
二人は慌てて立ち上がり、一礼した。
「シム。エラマ様がお見えになったそうだ。お嬢様の件を話すから、お前も一緒に来てくれ」
「はい、分かりました」
長老は踵を返した。
そしてイルシアの横を通り過ぎる時、面向かって、
「今度の巡邏も大事な調査だ。慎重に行動せよ」
と告げられた。
いつだって俺は慎重だよ、と心で呟きながら、イルシアは無言で頷いておいた。
しっかりとした足取りで退室していく長老を見送り、つまっていた息を吐いたのは、もちろんイルシア。
「ったく・・・相変わらず、棘の含んだ物言いだよな・・・」
不服いっぱいで呟く。
「うちのじいさんて、まだお前とレビイの事を根に持ってるのか？」
「そうらしいよ」
うんざりした溜め息を漏らす親友に、同情するシムだった。
キュロイ神殿。
神官と巫女の控え室で本を読んでいると、巫女見習いのメルシイラがやってきた。
「マリエ様、近頃、生き生きしていますね！」
「そうですか？」
マリエは、はにかむように微笑んだ。
「なんだか、いつもよりとってもきれいです」
「えっ？」
「神官のお姉様方が言ってました。恋をしている女性は、きれいになるんだって」
「まあ」
赤くなったマリエを見て、メルシイラは笑った。
「その様子では、イルシア様と仲直りされたんですね！」
「え？ええ」
なんで分かるのかしら・・・と恥ずかしく思いながら、マリエはもじもじしている。
「良かったです！お二人は喧嘩されてるみたいだったので、心配だったんです私」
「すみませんでした、あの時は・・・。イルシアさんの顔を見るなり、わたくし逃げ出しちゃいましたものね。イルシアさんと仲直りできたのも、メルシイラさんがイルシアさんを案内してくれたおかげです。ありがとう」
くすっと笑いながら、メルシイラの頭を撫でてやった。
「あ。それはそうと、わたくしに用事があったのでは？」
「あっ、そうでした」
メルシイラは、舌を小さく出した。
「マリエ様を訪ねに見えた方がいるんですけれど」
「わたくしを？」
「そのー・・・失礼かもしれないんですけど、なんだか怪しげな感じの人で、お名前もおっしゃらないんです。とにかく、今朝、助けてもらった者だと言ってくれれば分かるって、言い張ってるんですけど」
「ああ、あの方・・・」
「ご存知ですか」
「ええ。分かりました。行きます」
礼拝堂へ行ってみると、今朝の男がいた。
やはり薄汚い布で体を包み、口と鼻を覆い隠している。
「やはり、マリエ様でしたか」
「よく、わたくしだとお分かりになりましたね」
「どこかで見た事のある方だと思ってたのですが、お別れしてから気付いたのです。以前にこの神殿に祈りに来た時、あなたをお見受けした事があったのを思い出して。それにお名前も。マリエ様と言えば、今や后候補の渦中にある方だし、忘れるはずありません」
男は「あれから三日ぶりの食事をしましてね。元気が出たので早速、マリエ様にお礼をと思いましてやってきたわけです」
「お礼だなんて」
「いえ、あまり期待しないで下さい。この通り、みすぼらしい身分の人間です。礼と言っても、私のしている仕事で礼をお返ししようと思ってるのですから」
「そうですの。それで、なんのお仕事を？」
「占いです」
「占い？」
「ええ。見ての通り、儲かりはしないのですが」
「当たるのですか？」
占い師は「自負できます」と静かに頷いた。
元から抑揚のない低い声なので、真剣な顔でそう言われれば、だいたいの人間はその言葉を信じてしまうに違いない。と言うより、マリエは疑うということを知らない。
男はしょっていた荷物を床におろし、中から道具を取り出した。
「ここではやりにくいので、あの像の前でやりましょう」
祭壇の中心に置かれている、天井に届くほどの像は、もちろん大地神オーディダをかたどったものだ。
男は床に胡座をかき、前に正座しているマリエとの間に、複雑な模様が描かれた四方の紙を広げた。
真ん中に平たい皿を置き、そこへ乾燥させた雑草らしきものをばらまく。
火でそれをいぶすと、細長い煙が立ち上った。
「さて、何から占いましょうか？やはり女性は恋占いですか」
「そうですね！そうして下さい」
マリエは楽しげに頷いた。
占い師は瞼を閉じ、一筋の煙の上に両手で円を描く。煙は四方八方へ散った。
「・・・うむ。残念な事に、王子との成婚は無理になるようです」
マリエは全然、残念な顔を見せず「そうですか！」と、むしろホッとした様子だった。
「それで、そのあとはどうなるんでしょう？」
「そうですね・・・」
占い続けるが、占い師には占いなどせずとも、この後の巫女の行く末など分かっている・・・と心の中では思っていた。これから自らが手を下し、この女に不幸を与えるのだから・・・。
だが、その予想に反した占いの結果が出てしまった。
「そんな・・・」
あまりの予想外の出来事に、占い師は思わず唸ってしまった。
「どうしたんですか？」
「あ、いえ・・・別に・・・」
「・・・？それで、どうなるか分かりました？」
驚きを隠せずに、占い師は漠然と口を開いた。
「・・・ひとりの、男が見える。あなたの運命を握っていると言っても過言ではない男。だが・・・どういう身の上の男なのかが見えない・・・」
それでもまだ占い師は諦めず、浮かび上がってきたその運命の男の素性を占う。
「・・・影？いや、光も感じられるが・・・」
まったく理解し難い結果に、占い師は首を傾げた。
姿が影になり、あるいは眩いばかりの光が、その姿を覆い隠して見えなくするのだ。
「何者なのだ？命を張って、マリエ様を守ろうとする意志がある」
「命を・・・」
マリエは一瞬、顔を曇らせた。
一方、占い師は思っても見なかった謎の人物の出現に、焦りを感じていた。
一刻も早く、事を運ばせるべきだと判断した。
「マリエ様。次は、違う占いをしましょう」
「あ、はい」
先ほどの小皿の上に、新たな乾物を入れた。
 マリエの目には、トカゲのようなものに見えた。干からびた四本足の生き物。そして更に、乾燥した葉を入れる。
それらがいぶされ、もうもうと立ち上る煙。
「この煙の上に、左の手のひらをかざして下さい」
「こうですか？」
「はい」
占い師の口から呪文が零れる。
聞きなれないその言葉の羅列がマリエに理解できたのなら、今すぐにでも逃げ出す事が出来たかもしれない。
だがマリエには到底無理な事なので、占い師のその呪術に嵌るのを待つばかりだ。
「なんの・・・占いですの？この煙のせいでしょうか。わたくし、なんだか・・・眠い・・・感じが」
「大丈夫。すぐ終わります」
そう言う占い師の言葉さえ、既によく聞こえなかった。
意識が遠のいてきたマリエは、瞼を一生懸命開けようとするが、鉛のように閉ざされていくのを感じた。
「もうすぐ、楽になりますよ・・・」
占い師は薄く笑みを浮かべた。
だが、床に倒れ伏せ眠ってしまったマリエは、それを見届ける事はできなかった。
第６話 完
第２部 『 あなたを守りたい 』 へ つづく
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